主宰者プロフィール

■事実と創作を交えてその時代と我が半生を振り返る自伝的「笑とストーリー」■

「負けて負けて、時々勝って、又、負けて」

誕生から幼少期
~ 近所でも有名な「ガキ大将」だった頃 ~

誕生から幼少期

おギャーと生まれたその日、新聞トップ面を飾ったのが「世界初!マナスル登頂成功」。まだまだ戦後の匂いが街中の随所に残り、子供たちは路地を走り回って遊びに夢中だった時代。

日本が経済成長の入り口に差し掛かり「公害」という言葉が生まれたのがその後の10年。TVは白黒、勿論、パソコン・スマホなんぞ存在しない。遊び道具も仲間作りも勉強ですら、全て自分で工夫考案していた。

教訓①: 子供は大いに遊ばせよう!遊びを通じて創造力と人を大切にする心を育てるもの

小学生の頃
~ 中学受験大失敗で人生初の挫折を経験 ~

小学生の頃

小5で「ガキ大将」が変じて勉強に目覚める事に。理由は簡単。
親が見兼ねて新品の自転車と交換に成績を上げる事を約束させられる破目に。小4(オール3)が小6でオール5達成。調子に乗って中学受験するも3校全滅!地元公立中学へ嫌々進学。

大阪万博が開催され、岡本太郎の「太陽の塔」を見上げるように眺め、アポロ12号が持ち帰った「月の石」に驚喜して見物。

教訓②: 子供には「凄い物・事」に触れさせることが将来の目標へのヒントに繋がる

中学から高校の頃
~ 学年トップでも高校受験は大失敗(1勝2敗) ~

中学から高校の頃

10台真ん中で又も受験失敗で2度目の挫折を味わう。結果は1勝2敗。
受験を甘く見ていた。惨敗で滑り止めの県立高へ。但し、県内屈指の進学校「翠嵐」へ。

が、実に変な学校(生徒任せで放任)で青春を謳歌し過ぎた結果、受験勉強は高3の10月からという始末。勉強の代わりに洋画100本観て評論する事に熱中。英語力と記述力が自然と身に付くが、それは後で気付く。

高3の12月に理系から文系に志望変更の暴挙に出て3校5学部全滅。これで人生3度目の挫折となり、浪人決定。もう不合格が怖くなくなる。女子には全くモテなかった。

教訓③: 失敗して学ぶ事の方が大事。挑戦して失敗しても直ぐに次を考える気持ちを持つ

大学生時代
~ 夢は世界へ飛び出す事(だったが、バンドとスキーとディスコ三昧) ~

大学生時代

負け続けた受験人生だったが、ここでやっと勝ちを掴む事に。結果は全戦全勝。国立大+私大(2校4学部)。選んだのは私大の雄である「慶應義塾」。加山雄三・石原裕次郎・中村雅俊に憧れてという実にミーハーな理由。

合格理由は至ってシンプル。受験校の過去問分析と得意不得意を客観的に分析した事に尽きる。もっと早く気付いているべきだった。高校時代、女子に全くモテなかった反動でバンドとスキーとディスコ@赤坂・六本木三昧の日々を送る。

卒論は「石油エネルギー資源と自動車産業に於ける経済構造改革への展望」という大作を仕上げる。

教訓④: 回り道してみる。直線コースよりも色んな景色を眺めれば物事の本質が分かる

ビジネスマン・デビュー
~ 「負けて負けて、時々、勝って」の人生スタート ~

ビジネスマン・デビュー

大学の悪友たちは「お前はどうみても商社向きだよ。」と性格を見抜いていたようだが、結果は銀行と自動車メーカー合計4社の内定をゲット。 負けて負けて、時々、勝ってのここ迄の人生。

選んだのは日産自動車。本社は東京の銀座。名古屋のT社と覇を競っていた遠い昔の話である。欧州本社駐在もあり、気が付けば延べ47ヶ国を飛び回る生活が長く続いた先に、外資系企業からのヘッドハント。相手はゼネラル・モーターズ(米:デトロイト)。その後はミシュラン・タイヤ(仏:パリ)へと。

教訓⑤: 異文化に触れるのを恐れるな。他者を知り理解する事で人生の幅が更に広がる

現在(塾の経営に乗り出して)
~ アフリカでの或る出来事に導かれて大転身 ~

現在(塾の経営に乗り出して)

しかし、ふと或る事が脳裏をかすめて居た事が徐々に大きくなり、還暦前の57歳(H30現在62歳)でリタイヤして大転身を決断する事になる。

詳しくは「幸せの扉をこじ開けろ」にある通りだが、「生きる力と学ぶ心」が失いかけている日本の現状を憂いて「日本の将来」の主役である今の子供たちに何が出来るだろうか・・と考えて
至ったのが「そうだ。塾をやろう!」だったのだ。

地域の教育に貢献したいという思いの実現は、未だまた険しい道のりの途中。子供たちには「勝ち組ではなく幸せ組」を目指して欲しいと奮闘中の現在だが、良いスタッフ達にも恵まれて充実感に満ちた毎日を多忙に過ごしているのであった。<完>

教訓⑥: 長い人生の後半は、今まで社会から頂いてきたモノをお返しする番だと考える

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